2012年6月14日木曜日

勾当台公園


勾当台公園
今回はいつも植物を撮影している、勾当台公園の話題です。
勾当台公園(こうとうだいこうえん)は、仙台市都心部にある都市公園です。周辺には宮城県庁・仙台市役所・国の出先機関などの公的機関と、公共事業関連の企業が集積しています。
「勾当台」の名称は、仙台藩藩祖伊達政宗が寵愛した盲目の狂歌師・花村勾当の屋敷があったこと、また、広瀬川の河岸段丘により、江戸時代の仙台城下町の中心部(芭蕉の辻)側から見て園内の一部がやや高台になっていることに由来します。「勾当台」は現在「こうとうだい」と読みますが、江戸時代には「こどのでえ」と読みました(仙台弁#仙台弁の地名・固有名詞参照)。
江戸時代は、藩校「養賢堂」が置かれ、当地は仙台藩の学問の中心地でした。また、仙台城の鬼門を守る定禅寺もあり*1、定禅寺通の名の由来となりました。
公園として整備されたのは、第二次世界大戦後の復興においてです。1946年(昭和21年)に当地を公園として整備する都市計画が決定し、都市公園法が公布された1956年(昭和31年)に勾当台公園として開園しました。

*1 定禅寺

定禅寺は、かつての仙台藩・陸奥国領仙台城下町にあった真言宗の寺。現在の青葉区本町3丁目の仙台合同庁舎の敷地を中心に、宮城県庁舎にかけて寺域が広がっていた。1601年から、伊達政宗の命により、仙台城及び仙台城下町の建設が始まるが、定禅寺も同年、同城の鬼門封じ(注:北東の方角)のために開基された。そのため、段丘崖を上がる階段、および定禅寺は、仙台天守台から北東に一直線に引いた線上に一直線に並んでいた。仙台藩時代は「一門格」に選ばれる格式の高い寺であった。
 明治維新後の1870年に定禅寺は炎上・焼失し、戊辰戦争により仙台藩という後ろ盾を失った定禅寺はその後復興することができず、1873年に廃寺となった。

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