2012年8月18日土曜日

西公園のアザミ


 西公園で撮影しました。
アザミ属(アザミぞく、Cirsium)はキク科の属の一つです。
多年草または一年草で、葉は縁がとげ状を呈し、葉が極端に深く裂けるものがあります。頭状花序(花)はすべて両性の筒状花のみで構成されており、花の色は主に紫色です。
北半球に250種、日本では100種以上あるとされています。
 アザミの種類はたくさんあって、よく似ているので判別が難しいのですが、撮影した場所等を考慮すると、ノアザミ(学名: Cirsium japonicum)、ノハラアザミ(学名 Cirsium oligophyllum)、ナンブアザミ学名 (Cirsium nipponicum)などが考えられます。花の時期(ノアザミは春)、葉の切れ込み(他のアザミに比べてナンブアザミは葉の切れ込みが少ない)などよりナンブアザミではないかと思います。雑種もあるそうなのでよくわかりません。だれか詳しい方がいれば教えてください。
 

セミ


西公園で撮影したセミの抜け殻です。
都会の中の定禅寺通りも姿はみかけませんが、うるさいくらい鳴き声は聞く事ができます。
セミ(蟬・蝉)は、カメムシ目(半翅目)・頸吻亜目・セミ上科(Cicadoidea)に分類される昆虫の総称で、「鳴く昆虫」の一つとして知られています。
日本では約30種類が知られていますが、定禅寺通りで鳴き声を聞くことができるのは、
アブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシの3種です。
セミの抜け殻は中国で古くから蝉蛻(せんたい、または、ぜんたい。蝉退とも書く)という生薬として使われており、止痒、解熱作用などがあるとされています。ちなみに日本で使われる蝉退配合の漢方方剤に消風散があり、アレルギー性の湿疹によく使われているようです。

2012年8月16日木曜日

定禅寺通り中央緑地の噴水



店の前にある定禅寺通り中央緑地の噴水です。
ここで問題です。西洋庭園にあって日本庭園にないものはなんでしょうか?
答えは噴水だそうです。
噴水(ふんすい)とは、池や湖などに設けられる水を噴出する装置、またはその水そのもの。広場、庭園や公園、特に西洋式の庭園の装飾的設備として設けられることが多いようである。
字義通りならば水を噴出するものということであるが、日本語における噴水は上方への噴出という意味合いが強い。英語におけるfountainは、公園などの水飲み場の蛇口を含め、人工的な泉の意味も含み、噴出方向も必ずしも上方でなくてもよいようである。その意味では、ブリュッセルの小便小僧やシンガポールのマーライオンも噴水である。いずれの場合でも人工的なものを指すようであり、自然の間欠泉や滝などは含まない。
日本で最古とされる噴水は兼六園の噴水で、1861年に前田斉泰が金沢城内に作らせたものである
西洋では噴水の歴史はとんでもなく古いものだそうです。ギリシャ時代にはもう既に庭園を飾っていたのです。古代ローマ時代には水道の発展とともに噴水も盛んに作られたそうです

2012年8月14日火曜日

解体進む仙台プラザホテル


錦町公園の隣にあった、閉館したホテル仙台プラザの現在の写真です。解体工事が進んでいるようです。ホテル全体は足場とシートで覆われていますが、一階部分はかなり解体されているようでした。

ホテル仙台プラザ
1888年(明治21年)創業の旧「陸奥ホテル」を前身とし、戦後、仙台空襲で被災したものの「青木ホテル」として再興されました。1951年(昭和26年)には、東北地方初の国際観光ホテル整備法登録ホテル(政府登録ホテル)となるります。1975年(昭和50年)に現在地に移転新築し、東北初のシティホテル(客室数221室)となり、これを機に「ホテル仙台プラザ」と改称します。「仙台ホテル」と共に仙台を代表する老舗ホテルでしたが、2011年(平成23年)3月7日、経営悪化などを理由に同年3月25日を以って閉館すると発表されました。しかし同年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で被災し、3月13日午前10時に前倒しして閉館されました。
 筆者も何回かレストランで食事した記憶がありますが、仙台を代表する老舗ホテルが1つまた1つと取り壊されて消えていくのを見るのは、感慨深いものがあります。

2012年8月10日金曜日

定禅寺通りの施設 錦町公園


錦町公園(にしきちょうこうえん)は、仙台市都心部北側に位置する住区基幹公園(都市公園)です。定禅寺通りの愛宕上杉通りの角にあります。

【歴史】
 当地は仙台城の北東すなわち鬼門にあるため、江戸時代初期の17世紀は仙台城下町を見下ろすように寺社がずらりと建ち並んでいたそうです。その後明治時代になり、仙台藩の後ろ盾を失ったほとんどの寺社が廃寺となり、変わりに病院(後の東北大学病院)や学校(仙台育英中学)などが設置されていたようです。
 1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で当地は焼け野原となり、戦後復興事業によって公園とすることが決定し、国民体育大会の開催に合わせて1952年(昭和27年)に仙台市レジャーセンターが開館し、1956年(昭和31年)には同センターを含む地域が錦町公園として開園しました。筆者もレジャーセンターには何回か訪れた記憶があります。
 1998年(平成10年)にはレジャーセンターが閉館し、全面リニューアルし現在の形になりました。

2012年8月8日水曜日

七夕前日の朝の一番町

七夕の朝の一番町
七夕前日の朝の一番町


七夕前日の朝の一番町
 定禅寺通り側から朝の一番丁通りを撮影しました。明日からの七夕でのにぎわいがうそのように、ひっそりとしていました。
 一番町(いちばんちょう)は、仙台市青葉区の東一番丁通り沿いにある町名、またはそこに存在する商店街のことです。仙台市都心部に位置し、同市を代表する商業地のひとつです。現在の一番町は、かつての東一番丁を起源としています。区域内を南北に走る一番丁通りが、かつての東一番丁です。
 仙台地名考(菊地勝之助著:仙台•宝文堂)には、仙台城下創設の際に、芭蕉の辻を中心として、東に順次割り出されたのが東一番丁から二•三•四•五番丁であり、昔は東一•二•三番丁ともに百騎丁といったと記載されています。このことより、東一番丁は江戸時代には中級以下の家臣が住む侍町であったことがわかります。
 その後、明治時代になり、困窮した士族(旧仙台藩士)の失業対策として商売をさせたのが始まりで、以後、東一番丁沿いには、芝居小屋、映画館、寄席、喫茶店、芸妓置屋、露店などが立ち並ぶようになり、藩政時代以来の商業中心地だった国分町の裏町、新興の商店街として賑わうようになったようです。
 戦後、アーケードが完成し、1979年には自転車を含む車両の進入規制がしかれて歩行者専用道路化し、買物公園としてアーケードの改装、街路樹やストリートファニチュアなどが設置され現在にいたっています。
 一番町と一番丁通り、まぎらわしいですが、町名は一番町で通り名は一番丁通りと使い分けるのが正解のようです。、江戸時代の侍町の名残りである「丁」が、町人町を示す「町」に書き換えられ、「丁」は通りに名を残すこととなっているようです。


2012年8月3日金曜日

ナツツバキ?


ナツツバキ?
仙台市役所の前の植え込みで撮影しました。葉の形、白い花、公園などによく植栽されているということからナツツバキ属の種かと思われますが、違っているかもしれません。もしわかるかた教えてください。一応ナツツバキ属のプロフィールをあげておきます。

ナツツバキ属(ナツツバキぞく、学名: Stewartia)は、ツバキ目ツバキ科に属する属。
落葉の高木または低木で、まれに常緑のものがある。葉は互生し、葉身は楕円形から長楕円形で、やや厚い羊皮質になり、縁に微鋸歯がある。は両性で、やや大型になり、花弁は5個、色は白色、ときに紅色になる。(フリー百科事典 ウイキペデイアより)