2013年2月13日水曜日

定禅寺通り付近の地名 国分町

国分町通りの看板
晩翠通りを隔てて国分町方面を望む

 春日町、立町から晩翠通りを隔てた向い側の一画は国分町です。国分町といえば、東北随一の歓楽街ということで有名ですが、もともと江戸時代には仙台城下町における奥州街道沿いの町人町として、大町とともに商業の中心として栄えた町です。
 国分町の名前は、伊達政宗以前にこの地を領有していた国分氏にちなんだ名前です。仙台地名考(菊地勝之助著)によれば、”国分町は国分荘を領有していた国分氏に属していた町人等が形成した町である”とあります。国分氏は、南北朝時代から戦国時代の末まで、陸奥国分寺付近から宮城郡南部に勢力を張った武士の一族です。伊達政宗の時代に伊達家に臣属しましたが、正宗の不興をかって滅亡し、今は国分町にその名を残すのみです。
 その後、明治以降はオフィス街として発展し、現在のように2丁目が東北随一の歓楽街となったのは戦後のことです。
 戦後の新町名の国分町の地域は、広瀬通りより南の一丁目、広瀬通と定禅寺通りの間の二丁目、定禅寺通りの北側の三丁目に分かれています。我々がイメージする国分町は二丁目です。ちなみに、仙台市役所も国分町です。

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