前回ご紹介した櫻岡大神宮のすぐ南側が大町交差点です。17世紀初めの伊達政宗の仙台建設時に、仙台城の大手門から広瀬川を渡って(大橋)東に通じる大通りとして建設されたのが大町通りです。その両側の大町は米沢から正宗とともにやってきた町人衆(御譜代衆)の町として商業特権が与えられていました。
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大町交差点から旧仙台城大手門を望む |
写真の現在の大町交差点より西側(旧仙台城側:現町名(大手町)は、伊達家重臣の屋敷がならぶ地域で、大町交差点より東は、その両側は大町という町人町でした。大町は米沢から正宗とともにやってきた町人衆(御譜代衆)の町として保護され、様々な商業特権が与えられていたといわれています。現在は、戦後できた大通りの青葉通りに隠れ、細い裏通りとしてあまり人通りもありませんが、江戸時代は仙台の中心通りとして栄えました。大町と旧奥州街道が交わる場所が芭蕉の辻(現;日本銀行仙台支店)で江戸時代は仙台の街の中心でした。ちなみにさらに東に進むとそこは仙台駅です。
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大町交差点の石碑 |
大町交差点の南西角には石碑が設置されています。石碑には旧三澤家屋敷跡と記されています。三沢家は、伊達騒動にも登場する、幼君亀千代(後の4代藩主伊達綱村)の母三沢初子の一族です。奥州三沢氏はもともと出雲の豪族であった出雲三沢氏の一族ですが
、初子が綱宗(3代藩主:伊達騒動で蟄居)の側室になった縁で伊達氏に仕え、
藩主の外戚として一門に列っせられています。