2012年12月23日日曜日

山城大掾藤原国包 鍛刀の地の石碑


 西公園の、立町小学校に面した付近に静かにたっていました。石碑には、山城大掾藤原国包 鍛刀の地とありました。日本美術刀保存会宮城県支部が、昭和55年に建立したものです。
 山城大掾藤原国包は、政宗の刀を作った名工刀鍛治です。クニカンが正しい読み方だそうです。刀を作る金槌の音が余りにもリズミカルで見事なので、瑞巌寺の和尚が訪れて、それを称えたとの記述があります。

 仙台市中央市民センターの「若林歴史かるたづくり」のWebぺーじより、国包の略歴を記入しておきます。

1592(文禄元)年 宮城郡小泉村若林に生 家業は野鍛治 刀工稽古人として召出
1614    22才で京都 越中守正俊の弟子
1619    帰郷、この間 大阪冬・夏の陣で臨時刀鍛治
『奥州若林住藤原国包』
『奥州仙台藤原国包』などの銘
1627    36才 「山城大掾」の官名☆
『山城大掾藤原国包』と銘
南小泉鍛治屋敷に国包屋敷……これが旧町名の由来
1638    46才 雲居禅師より法名
1664    73才で没
若林区新寺小路善導寺に埋葬、13代まで埋葬


国包は無学、無筆の人で雲居禅師に書いてもらった文字を上からたがねで切ったので、鑑定は雲居の筆跡と言われている。

☆「やましろだいてん」と読む。山城国の3等官の官職名です。



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